実は、この道を志す前に、すでに、ちょっとした予兆のようなものと、いくつかの預言めいたことを聞いていたことを思い出しました。
 
いつのころからか、目に見えない世界のことや、真実について、時に周囲からは不謹慎と思われる真実についても、無意識に感じ取っていたような気がいたします。
 
もしや自分には見えない世界の何かを感じることができるのではないかと少し自覚をした、2007年の初沖縄旅行では、斎場御岳(せいふぁーうたき)というスピリチュアルスポットを巡ったところ、ある一角が非常に恐ろしく感じた場所があり、その後、大変具合が悪くなってしまいました。塩で清めてもらい回復したのですが、いったい、あれは何だったのか、何か、私の中に入ってきたのかもしれないと、私にもそんな感覚があるのかと初めてのできごとに戸惑いました。
 
そして再び、神秘的な沖縄に魅かれて旅した2008年、神人と言ったか、ノロかユタと言ったか、謎めいたスピリチュアルの方と出会い、自然を巡る中で、初めて、自分のグローバル・パーパス(社会的使命)について、預言めいたことを言われました。
「真を知る時、己の役目を知る、たもとを分けたものを一つにする役目を胸に収めよ、如来宝珠の玉を授ける、これを使って、三途の川から来るもの、境界線を越えてくる霊を浄化せよ、意識が変わる、真の力を発揮する、役割を果たすことができる、神に委ね、流れに身をまかせよ、真実を知る、待つ神が本土におり、(私が)来るかどうかである、神への祈りを仕事に反映させる」等々、私は自分について何も語らない中でのメッセージで、当時は、なんのことかさっぱりわかりませんでしたが、今思えば、意味深なことを言われておりました。もしかしたら、これは、天界のことを言っていたかもしれませんし、あるいは、もう少し、別次元の世界のことだったかもしれません。いずれにしても、その当時は予想もできませんでしたが、ただ、確か、現実世界の表舞台での活躍ではなく、それを支える精神世界で活躍するというようなことを言われたことははっきりと覚えております。でもそれは、まだ教員としてというように言われた気もいたしますが。
 
そして、さらに、それより以前に、この天界学のことについて預言しているのでないかと思われる印象的なことを言われていたことを思い出しました。
2006年暮れに、あるスピリチュアリストから言われたメッセージです。やはり、当時は漠然としている感じがしてピンときませんでしたが、今ではとてもよくわかります。当時も、私がなんの情報も出さない中でのメッセージに驚きましたが、今振り返ると、まるで、天界やマスターのこと、天界の言葉が話されているようで、思わず感動してしまいました。自分史の思い出として少々長いですが、掲載させていただこうと思います。
私のカルマと生き方について。(抜粋表記)
「精神世界に目覚め、深くかかわりたいと願う思いは、守る存在が大きいから。なぜこのような素晴らしい方々に恵まれたかは、やはり前世で多くの徳をつんできたから。前世、教育者であったため、大変多くの人へ愛を注ぎ、彼らに多くの幸せを与えてきたことが現世に返ってきている。これが、この気づきに目覚めさせてくれた大きな原因の一つである。少なくとも今、幸せであり、そう自分でも感じている。その幸せを周りの人へ与えて行くことを現世でも行ってゆくこと。カルマは、背負うものはそう重苦しいものではない。よく言えばとくに前世で大きな罪を犯したり人を傷つけていないからである。しかし、まだまだすべきことはたくさんある。前世以上に徳を積まなければならないのだから。いつでも今の自分に納得せずに、上へ上へと向上心を持ち更なる幸せを手に入れること。
中略
答えはすでに自分でわかっていること、人生の中でそれを成し遂げられるように精一杯の努力をしていれば、結果が多少悪くても努力をしない結果よりも遥かに尊い。その試練に挑戦する事自体に大いに意味がある。その試練を投げ出さずに、学ぼうとする意思があり、人を無意味に苦しめたり、恨んだりしない限り、あとはいかに人生を楽しみながら学ぶかを考えればよい。
中略
挫折をしない限り、みるみると成長してゆく姿が見える。幸せに輝いている姿が見えるということ。
中略
生きる術について。受け入れ、実行することで、必ず幸せになれる。
中略
口惜しさ、負けず嫌いがあるからこそ、人間は伸びてゆく、霊格が高まってゆく。その原動力ともなり得る。未来の輝かしい自分を常に夢に見、描き思い続けてゆくことによって、必ずいつかその姿が本当に現実に自分に近づいていくもの。あけても暮れても、自分が考え、思っていることが、自分の人柄や人格を作っている。人は、自分の心で考えた通りの人間になることを忘れないように。
中略
お守りくださる方々よりメッセージ。
名は分りかねるがご先祖であるよう。守るものは、身分等はわかりかねるが、お言葉から3~4世代くらい前の母方のご先祖であり、大変信仰心の高い方である。
先祖に仏教や神道など信仰していた方がいればその方に間違いない。
中略
(以下原文)
苦しみや辛みは、すべて、あなた様本来の心を呼び覚ますための試練とお思いになることです。
すべては、神に与えられた試練とお思いになり、苦と思わず、喜びに変えてゆく事です。
進歩と調和を大切にし、積極表現に徹しなさい。神や、守護霊様は、あなた様方を、厳しく優しく、見守り育ててゆくのです。
神の子である事を誇りに思い、神の厳しさを素直に受け止め、生きてゆきなさい。
人は皆、神の心(天国の心)を持っています。
平和や愛を求めています。
それを、忘れないで欲しい。
どのような環境の中に育っても、ご自身の個性を最大限に生かし、プラス思考に生きなさい。感情に走らず中心を忘れず、人のことを第一に考えなさい。この様に、天国の心を忘れず、神や守護霊様によって生かされていることを誇りに思って、明るく、楽しく生きなさい。
幸せは、ご自身しだいでいくらでも掴む事が出来る。
頑張りなさい。」
 
このあと、信じるか否かは自分次第である等々と続けられておりましたが、なんとも、意味深なメッセージです。
「天国の心」とは!私の3,4世代前のご先祖に、クリスチャンであった方はいなかったはずなので、もしや、やはり、これは、天界のマスターか、マスターに近いくらい高い位のご先祖様なのではないかと勝手に感じております。
もしそうだとしたら、私は、なんと沢山の方々に守られていることか、紆余曲折して、少々痛みを伴いながら、回り道をして参りましたが、改めて、ここまで来れたこと、いや、戻って来れた奇跡に感謝です。
そして、人生の半分をかけて天界での誓いを思い出した自分に、ちょっとだけ乾杯♪
 
これからが、第二の人生の本番です。
天界のエンジェル・ヒプノ・セラピストとしてますます精進致します。
 
全てのサポートに感謝!